石川さゆりさんが、阿久悠さんを送る会で言っていた言葉に、そうだよな〜と思った。
「さゆりの場合は年を重ねるごとに歌も成長するから僕は嬉しいよ、これが先生から頂いたお褒めの言葉です」
そのとおりだ、と思ったのと、自分で記憶している津軽海峡冬景色のイメージが、最近違ってきているのは、これが理由だったんだ、と気づかされた。
この歌が最もテレビで聴けたのは、1977年の年末だった。
賞レースどころか、ずっとヒット曲にも恵まれなかったさゆりさんが、初めてのヒット曲で、賞の候補にもなっていた頃。
まだ10代とは思えないほど、歌も大人っぽかったし、着ているドレスは、クラブ歌手みたいな、白いカーテンっぽい薄い生地のドレス。そして怒っているかのような、気丈な表情で歌い上げているさゆりさんは、サビの部分ではいつも独特なアクションをしていた。
小学生だったわたしは、そのアクションをオーバーにしてよく真似していた。真似しやすいほど、さゆりさんのアクションも、毎回同じような感じだったのだ。
それが、あの歌はずっと歌い継がれ、さゆりさんの成長とともに、分からないうちに変化していた。
歌番組で数年に1度は聴くことができたが、その度に、あれ、小学校の頃真似していたアクションは、自分が勝手にオーバーに作り上げたものだったのかな、そんな考えがどんどん浮かんでくるようになっていた。
そしてこの前、阿久悠さんの訃報からすぐにNHKで追悼番組が放送された。
そこであの当時のさゆりさんに、久々会えたのだ。
やっぱり、やってるよ。
そう、凍えそうな カモメ見つめ 泣いていました のところで3回、片手を思いっきり船漕ぐように引っ張って
あ〜あああ〜 のところではマイクを浅く持ち、ちょっと横に振る。
で、津軽海峡 の つ のところでスッくと背筋を伸ばす
そのときのさゆりさんの表情が、歌の中で一番キッと強くなるところ。
こんな感じなのだ。あの頃真似したままのさゆりさんだ。
これだよ、これっ そう叫びたくなった。
そして今日、TBSでも追悼番組が放送された。オフィシャルの追悼番組、と言われていただけあって、見応えもあり、ゲストも多かった。
その中で今の石川さゆりさんの『津軽海峡冬景色』を聴くことができた。
あのサビのアクションも、かすかに面影は残ってはいたが、これも成長したのか、円熟味を感じるアクションだった。
この歌は、女性の自立をうたった歌だという。
20歳間近の女性が、オイルショックや不況から立ち直ろうとしていた時代に歌っていた歌。
それを成熟した女性が、バブル崩壊から立ち直ろうとする時代に歌っている。
時代の先を見て、時代の歌を作り上げた阿久悠さんの追悼番組が放送される日に、総理大臣まで辞任するなんて。
どうなるのかわからないこんな時代に、この人だったらどんな作品を作ってくれるだろう、という愉しみがあった作家のお一人を失ってしまったんだな、としみじみ思わされる。
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